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2017.12.17更新

私ごと。。

先日の12月11日、父が他界いたしました。
享年75歳でした。

男3兄弟の末っ子の僕を、とても厳しく、時には末っ子によくある甘さも感じながら、大きな愛で包んで育ててくれました。

クレハという会社でバリバリ働いていた父は、いつも忙しくしており、子供ながらにもそんな父に憧れていたところもありました。

小学校3年生から地元の野球チームに入りましたが、兄2人も元々そのチームに入っており、父は監督でした。
ですので、休日は母も一緒に家族総出で野球に明け暮れていました。
今思うと、小学校以降で家族で旅行に行ったのは、祖父母の家や親戚の家以外だとあまり記憶にありません。
それくらい野球ばっかりやっていました。
ということは、父は自分の休みをほぼ息子の野球に費やしていました。

それから時が経ち、高校3年生のころ。
はい。
進路を決めるとき。
自分で言うのもなんですが、地元ではそこそこの進学校に行っていた僕。
兄たちもまぁそれはいい大学に行っていました。
「美容師になる!」
と言った時は、それはもう大反対でした。
「大学行ってからでも遅くないんじゃないか?」
親になった僕が同じ状況で息子にそう言われたら同じように返すかもしれません。。

それでも美容師となり、表参道という一等地で20年もやってきた僕を、父が知人に誇らしげに紹介してくれた時、僕はとても嬉しく思ったのを思い出します。

2011年3月11日。。
実家のある福島を大きな地震と津波が襲いました。
幸いにも我が実家は南部に位置しているため、そこまで大きな被害にはあいませんでした。
そんな2011年に、僕たち3人の兄弟にそれぞれ子供が産まれました。
父はいきなり3人の「じいじ」になりました。

ただ、震災直後だった為、僕らは子供を実家に連れて行くことがほとんどありませんでした。

約3年前、父に癌が発症しました。
胃と食道です。
胃は全摘出、食道は抗がん剤と放射線治療。
1度完治したかと思ったが、先月末の検査で、肺と肝臓に転移したと。

12月の初めに入院し、1週間での訃報。

前日まで普通に母と話していたと。

「家の近くに転院したいなぁ。」

「正月は家に帰りたいなぁ。」

と。。

そんな次の日、容体が急変したと母から連絡が。

お客様を施術していた為、LINEでのやり取りで状況を随時確認。

そしたらあっという間に。。。


その時のことを母に聞いたら、ほとんど苦しむことなく息を引き取っていったと。

先月、子供を連れて家族で福島に会いに行った時、食欲もなくだいぶ痩せた父を見て、多少覚悟は決めてましたが。。

全然福島に帰らなかった僕ら兄弟ですが、今年の10月と11月にバラバラではありますが、珍しく3家族みんなが帰りました。

3人の孫のランドセル姿は見せてやることができませんでしたが、幸せな人生だったんじゃないかな。

父の亡くなった12月11日は母の誕生日でもありました。

父ちゃんらしいな。。。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

喪中につき新年のご挨拶は控えさせていただきます。

 

 

か

(今年の11月に撮った写真)


副店長 坂本 拓也

 

 

投稿者: MAKE'S omotesando

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